NHKハートネットTV『障害者のリアルに迫る東大ゼミ』を見て。ALSの方の意見に共感。

昨日、NHKの福祉系番組、ハートネットTVを見ていました。

NHK福祉ポータルハートネット

毎回いろんな内容のことをやる番組ですが、昨日のテーマはALSや脳性麻痺など重度障害者をゲストに招き、さまざまなテーマについて議論を交わす東大のゼミのドキュメンタリー。

障害者のリアルに迫る東大ゼミ

東大の学生たちが自ら障害者に接触し、ゼミに呼び、講義をしてもらったり、議論を交わすのです。

その中でとても印象的だった言葉がありました。

それは、あるALSの方の言葉。

一言一句正確に覚えている訳ではないのですが、内容としては、

「生きる意味なんて、誰にとってもありはしない。障害者にとっても健常者にとっても。あるのはただ生きてそこに存在しているということだけだ。」

というような言葉でした。

生きる意味を問うような質問に対する答えでした。

東大生たちは、一様に『わかるようでわからない』という反応をしていたのですが…

私は、え?なんで?と思いました。

私にはものすごくしっくりきたのです。

この件について、いろいろ考えたので、ここからはそのことについて書いてみたいと思います。

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そもそも生きる意味なんて考える必要ないと思う。

そもそも、生きる意味について考える必要ってあるんでしょうか?

ここで言う生きる意味というのは、社会の中に自分が存在する意味=他者から見た自分の価値ということです。

それ、なきゃダメなの?って思う。

人から見てどんな価値があるか?高い価値があるか?なんて考えなきゃいけないんだろうか?
価値がなきゃ生きてちゃいけないの?

…と私は思うのです。

役に立っていようがいまいが、価値があろうがなかろうが、与えられた命をただ生きる、それだけじゃないのかな?と私は思うのです。

自分の生き方を考える時、軸は他者ではなく自分にあるべき。

でも、生きる意味は考えなくて良くても、自分がどう生きるかは考えるべきだと思います。

自分の生き方。

それを考える時に大事なのは、他者ではなくて自分。

自分を軸にして、自分の生き方を考えるべきなんだと私は思います。

よく他人は変えられない、変えられるのは自分だけだというようなことを言いますよね。

みんなが幸せに生きるのが社会の目指すべき姿なら、一人一人に出来ることは、まずは自分の幸せを追求することなんじゃないかと思うのです。

自分の幸せを追求するということは、もっと簡単に言ったら、

自分の好きなことをする

自分の心が喜ぶことをする

自分が望む生き方をする

ということだと思います。

それを一瞬一瞬真剣にやる。

ハートネットTVの中でも『生きる意味を考えるのではなく、今この時を精一杯生きることを考えるだけだ』というような言葉が出てきていました。

今この時を精一杯に生きるっていうのは、それぞれが、自分がより幸せに生きるためにはどうするべきかをよく考えて、ひとつひとつ選択していくということではないかと私は思うのです。

人の役に立つかどうかは、結果論。

人の役に立つ、社会的に見て価値がある、というのは、自分が幸せに生きることを追求した結果ではないかと私は思います。

いわゆる社会的貢献度の高いとされている人も、自分のやりたいことを追求した結果そうなっていると思うのです。

たとえば、無医村のお医者さん。

社会の役に立つということを第一優先にして、我慢して、その仕事を選んでいる訳ではないと思うのです。

やりたいからやってる。

もちろん端から見れば我慢に思えることもあるし、実際何かを犠牲にしている部分もあるのかもしれません。

でも、結局は、本人の『自分のはこうしたい!』という意志に基づいている。

そして、結果的にそれが人の役に立っているのだと思います。

これって別に社会的貢献度が高いと思われている人だけではなく、全ての人に言えると思うのです。

自分のやりたいことを追求することが結果的に誰かの役に立つ。

自分が幸せでいることが周りの人も幸せにする。

そういうものだと思うのです。

そして、それは、当然、障害者だろうが健常者だろうが変わらないと思うのです。

でも、矛盾するようだけど、取り立てて何かの役に立っていると、自分で自分自身に対して思えなくてもいいんだと思うのです。

思えなくてもたぶん何かの役に立ってるから。

そういうものなんじゃないかなと私は思います。

昨日の番組を見たあとずっと考えていたことを書いてみました。

ハートネットTV、いろいろ考えさせられるので、おすすめです。

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コメント

  1. つかっち より:

    あやぞうさん、こんばんは。
    ちょっと深いですね~。
    生きているだけで満足というと、
    非常に過酷な人生だと思います。

    相互に喜べるというのが、理想ですが、
    自分が与えることで、相手が喜ぶなら
    それが自分の喜びにつながっているんでしょうね。
    深い話をありがとうございました。
    応援して帰ります。

    • あやぞぅ より:

      つかっちさん>
      コメントありがとうございます。
      私も相互に喜ばせるのが理想だと思いますが、喜ばせようとしなくて良いんじゃないかと思うのです。
      まずは自分がハッピーになれば相手もハッピーになる、みたいな。
      かなり独自の解釈が入ってしまっているのですが、『生きる意味は誰にとってもない』っていうのは、突き詰めるとそういうことじゃないかなと思っています。