24時間テレビは感動ポルノ?偽善番組?それでも私が毎年見る理由。

こんにちは。

あやぞぅです。

8月も下旬に差し掛かってきましたね。

この時期の風物詩と言えば…まぁいろいろありますが、個人的には24時間テレビがそろそろ放送されるな~と気になり始めてきております。

最近、番宣も増えてるし。

(2018年の放送は、8月25日~だそうです。)

24時間テレビと言えば、

「偽善番組」

「障害者を見世物にしている」

「やらせなんじゃないか」

「感動ポルノ」

など、いろいろと批判的な意見も多い番組ですよね~…

私にとっては、子供の頃から夏の終わりに放送されていて、なんとなーく毎年見てしまう番組。

ネット上での批判的な意見についても、ここ数年の間にいろいろ読んだ気はしますが~…

それでも24時間テレビは100%ひどい番組だとは思えないし、ついつい見てしまうんですよね。

…という訳で、今回のテーマは、偽善と言われても感動ポルノと言われても…24時間テレビを見る理由 についてです。

24時間テレビに向けられる意見について、個人的に思うことをいろいろ書いてみました。

批判的なことも書いてはありますが、トータルでは擁護している内容となっております。

それを踏まえてお読み下さい。

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24時間テレビは感動ポルノ?

『感動ポルノ』という言葉は、2012年にオーストラリアの障害者人権活動家である、ステラ・ヤングさんという女性が初めて使った言葉です。

この言葉は、障害者をメディアなどに映す際に、それぞれの抱えている状況や本人の想いとは無関係に、一律に『困難にも負けず頑張る人々』『その姿に人々が感動を覚え、励まされる存在』として表現することの問題点を表現しています。

障害者がメディアに登場する際に、意図的に感動させようとするような演出ばかりするのは、実情を表現していないばかりか障害者に対する侮辱なのではないか、ということです。

この言葉は世界中で非常に大きく取り上げられ、抗議運動なども起きたそうですが…

日本の24時間テレビもまさに感動ポルノなのではないか?という指摘がされています。

障害者が何かにチャレンジする姿を映し出し、『障害があっても頑張る前向きな障害者』を『泣ける演出』を施した上で放送する…

24時間テレビって確かに感動ポルノかもしれないなと思います。

これを見た障害者の人が違和感や嫌悪感を持つのも当然な気が。

また、健常者の中にもこの番組を好きじゃない人がいるというのも非常に理解出来る気がします。

感動ポルノだと思うのに、それでも私が24時間テレビを見る理由

24時間テレビが感動ポルノ、確かにそうかも…

それでも24時間テレビを見てしまうし、全否定は出来ない私。

理由を改めて考えてみました。

大きく分けると、主に4つです。

①人の生き方や人生に迫る番組の場合、多かれ少なかれ感動的な演出がされてしまうものだから。

②番組内でのチャレンジは本物。行動やチャレンジそのものは率直に応援したいと思うから。

③障害者ばかりを扱うという番組作りではなくなってきているから。

④長年にわたりチャリティーで集めたお金を寄付し続けている功績はやはり大きいと思うから。

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【理由①】人の生き方や人生に迫る番組の場合、多かれ少なかれ感動的な演出がされてしまうものだから。

24時間テレビは、さまざまな人間の姿を取り上げている番組です。

番組内で何かにチャレンジする障害者の姿や日々の生活を映したり、ゲストの有名人の家族にまつわるエピソードをVTRで紹介したり、病気と闘った人の話をドラマにしたり…

いろいろなパターンがありますが、共通しているのは、それぞれの人の生き方や人生について迫っているということ。

それらを意図的に感動的な演出を加えて放送していることが感動ポルノだと批判される所以だと思いますし、過度な演出には私も疑問を感じる部分もあるのですが~…

その反面、こういった感動的な演出がされるのは、24時間テレビに限ったことではないのではないかとも思うんですよね。

たとえば、一番わかりやすいのはドキュメンタリー番組ではないかなと思います。

シングルマザー、大家族、LGBT、貧困、就職活動で苦戦する大学生、何かを成し遂げたプロフェッショナル、ブラック企業で働く人、田舎で自給自足をしている人…

さまざまな属性を持っている人がドキュメンタリーなどで取り上げられることがありますが、感動的な演出がなされているものってかなり多い気がします。

現在の素晴らしい姿を映しながらも、その裏には壮絶な苦労があって…とか

困難な状況なんだけど、家族をはじめとした周りの人との絆で乗り越えていく…とか。

それぞれの人の置かれている状況は違っても、同じような感動的演出、ステレオタイプな映し方って多いですよね。

でも、そう思う反面、それは切り取り方の問題であって、映っているものは真実なんだろうなーとも思うんです。

成功の裏の苦労も、周りの人に支えられてきたのも、当然だけど嘘ではない。

だから見ちゃうんですよね、私は。

感動的な演出をされたドキュメンタリーも、感動的な演出をされた24時間テレビも。

要は、ある程度の感動演出は24時間テレビ固有のものではないし、多少はしょうがないんじゃないかなと思うということです。

(ただ多少の演出ではなく、過度の演出である場合も多くて、そこは問題だと思いますが…)

【理由②】番組内でのチャレンジは本物。行動やチャレンジそのものは率直に応援したいと思うから。

障害者が山に登る・海を泳ぐなど、難しいことにチャレンジする

芸能人が24時間かけて長距離をマラソンする

障害者と芸能人が音楽でセッションしたり、一緒にダンスを踊ったりする

これらは、24時間テレビでよくある企画です。

24時間テレビは過剰に感動的な演出をしている、感動ポルノである

そういった指摘が正しいとしても、実際に、走ったり、山に登ったり、泳いだり、練習したり、歌ったり、踊ったり…いろいろなチャレンジをしている人がいるのは紛れもない事実。

感動的な演出に賛否はあるにしても、人が何かにチャレンジしていること自体はまぎれもない事実だし、チャレンジしていること自体は素晴らしいのではないかと思うのです。

障害者だとか健常者だとか関係なく…頑張れ~♪って心から応援したくなるのです。

また、テレビ局がチャレンジの中身を企画しているとはいえ、それぞれの人のチャレンジしてみたい!という意志あってこその企画だろうとも思うのです。

別に無理やりやらせている訳ではないと思うのです。

(芸能人のマラソンは違うかもだけど…)

それを考えても…やっぱりチャレンジや行動そのものは素晴らしいし、応援したいなっていう気持ちになるんですよね。

【理由③】障害者以外のテーマも多く扱うようになってきているから。

ここ最近の24時間テレビは、以前に比べ、障害者以外のテーマを扱う時間が増えてきているように感じます。

24時間テレビ内で放送されるドラマは、以前は障害や病気を描いたものがとても多かったですが、ここ2年間はそういったドラマではありません。

(2017年は阿久悠さん、2018年は石ノ森章太郎さんの人生を描いたドラマです)

また、それ以外にも、ダーツの旅、高校生ダンス甲子園、ヒロミさんが老朽化した駅をリフォームする企画、黒柳徹子さんがファッション専門学校で特別授業を行う企画…など、障害者をテーマにしていない企画も増えている気がするんですよね。

もっと言うと、大変な思いをしてきた人、苦難を乗り越えてきた人にスポットライトを当てて…というような企画自体が減っているような気がします。

過度の感動演出が必要ない、普通のバラエティーっぽい企画が増えているというか。

これは勝手な思いかもしれないですけど、24時間テレビもさまざまな批判を受けて、変わろうとしてるんじゃないかという気がします。

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【理由④】長年にわたりチャリティーで集めたお金を寄付し続けている功績はやはり大きいと思うから。

24時間テレビは、2018年までに41回放送されている番組です。

チャリティーで多額のお金を集めて寄付し続けている、この功績はなんだかんだ言ってもやはり大きいのではないかなと思います。

募金でお金を集めて寄付をしているけど、その分出演者へのギャラも高い

本当にチャリティーだと言うなら、ノーギャラでやるべきなんじゃないか

ギャラの分も寄付に回すべきなんじゃないか

こういった批判の声もありますが、私はこの主張にはちょっと違和感があります。

いくらチャリティー番組だといっても、長時間働いている以上、出演者も制作スタッフもそれ相応の対価をもらうのは当然だと思うのです。

勿論、「チャリティーなんだから自分はギャラはもらわない。自分の分は寄付に回して欲しい」もしくは「もうちょっと少なくて良い」という意見はあって良いと思います。

ですが、それは出演者・制作スタッフ本人が自分自身について言う場合であって、他がそれを強要するのはおかしいと思うのです。

チャリティー=無報酬で奉仕するのが当然、というのは違うと思うのです。

そんなこと言ったら、こういう番組は成り立たなくなると思います。

番組がなくなれば、あの毎年の大々的なチャリティー活動も多額の寄付もなくなります。

2018年の24時間テレビのHPによると、チャリティーで集めたお金は「福祉」「環境保全」「災害復興」への支援に役立てるそうです。

チャリティーのご案内|24時間テレビ

災害復興に関する募金はともかく、福祉や環境保全に対する募金ってあまり身近でない人が多いのではないでしょうか?

もともとチャリティーへの意識が高い人は別だと思いますが、それ以外の多くの人にとっては24時間テレビがなかったら福祉や環境保全のための募金をする機会はあまりない気がします。

それを考えると、

40年以上も福祉に対するチャリティー活動を大々的に継続的に行ってきたこと

実際に行った多額の寄付

この2点はやっぱり大きな功績なのではないかと思います。

そういったことをやっているメディアって他にあるのかな?とも思うし。

ただ、実際に法外なギャラが払われているとしたら…不当に高額であること自体は問題だとは思いますが…

でも、それを一般人が確かめる方法ってない気がします。

また、そもそも芸能人の普段のギャラの相場がどれくらいなのか?そしてそれが適正な金額なのか?を判断することも出来ないと思いますしね。

まとめ

以上、偽善と言われても感動ポルノと言われても…24時間テレビを見る理由 についてでした。

まとめると

・過度の感動演出は違和感あるけど、人を映す以上は多少はしょうがないと思う。

・番組内でさまざまなチャレンジは、障害がどうか関係なく、率直に素晴らしいと思う。

・障害者以外のテーマの企画も増えてる。感動ポルノという批判を受けて番組も変わろうとしてる気がする。

・長年チャリティーを続けてること&多額の募金は事実。功績はやはり大きいと思う。

ということです。

勿論、

・過度の感動演出(感動ポルノ)

・番組を見て嫌な気持ちになる人がいるという事実

・法外なギャラが発生してる?

という問題はあるんだろうけど…

まとまらないですが、トータルではそんな意見です。

きっとその人が置かれている立場によっても感じ方は違うと思うのですが、一意見として書いてみました。

読んで頂いてありがとうございました。

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コメント

  1. こんにちは。
    日本テレビ系列の24時間テレビは放送する内容によっては「お涙頂戴」的な印象を感じますが人の生き方や人生に迫る番組の内容はやらせはともかく事実そのものを放送しているのだから素直に感動できるものだと思います。24時間長距離マラソンは夜中に何10kmも走る事自体しんどいのはわかるけど、芸能人が放送終了時間寸前にゴールする結末を毎年何度も見せられるとやらせという感じがしますね。

    • あやぞぅ より:

      しゃんしゃんさん>
      コメントありがとうございます。
      そうですね。
      やらせは問題外ですし、感動的な演出もちょっとやりすぎな感じがするのですが、出ている人自体は応援したいなーっていう気持ちがあって。
      マラソンも、ホントそうですよね。
      放送終了直前にゴールするスタイル、もう辞めれば良いのにと私も思います。