こんにちは。
あやぞぅです。
以前、こんな記事も書きましたが…
日大アメフト部タックル事件を見て、会社の上司部下でも同じような構図がある…と思った話。
日大アメフト部の事件、未だに話題になっていますね。
悪質タックル自体も問題ですが、それだけの問題でもないことが徐々にわかってきていて、個人的には非常に興味深いです。
いろいろ気になる点はありますが、特に気になるのは、監督、コーチ、選手の間で、絶対的な支配被支配の関係が築かれていたという点。
厳しい指導で選手を追い込むのは当たり前、監督やコーチの言うことは絶対…
体育会系にはありがちと言えばありがちですが、それにしても特に日大アメフト部の体制は常軌を逸したものだったのではないかなーと、そんな風に思います。
私自身は、体育会系ではなかったので、そういった体育会系の空気は未経験。
…ですが、上から圧力を伴う指導をされたこと、という経験は全くない訳ではありません。
そして常々思っていたことがあります。
それは、圧力を伴う厳しい指導なんてそもそも不要なんじゃないの?ということです。
今回の日大アメフト部の事件を見ていて、改めてその思いを強くしました。
この記事では、
・圧力を伴う厳しい指導を受けた私の体験談
・圧力を伴う厳しい指導が不要だと思う理由
について書いてみたいと思います。
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目次
圧力を伴う厳しい指導…スパルタ予備校での体験談
厳しい指導を行って、圧力をかけて追い込むことで結果を残させる…
こんな考えの指導者から圧力を伴う指導を受けた、という経験が、体育会系ではない私にも実はあります。
それは、大学受験を控えた高3の時に通っていた予備校での話です。
その予備校は、大手ではなく中規模の予備校。
スパルタ指導がウリで、独特の英語教育を行っていることで有名な予備校でした。
私が高校生だった頃と言えば、2000年代の初め頃、平成で言えば平成15年前後です。
スパルタで教える予備校なんて、その当時でもだいぶ時代錯誤だったと思うのですが、そんな教育方針の予備校が東京にあったのです。
そして、何を血迷ったか、高校3年生の私は、その予備校に入ってしまいました。
(ちなみに、今現在その予備校は他と統合してしまったようでありません。)
英語教育に力を入れていて、独特の方法で長文読解を行い、英語力を伸ばすことで上位の大学への入学を目指す…という方針に惹かれたのが入った理由だったような気がします。
(英語以外の科目も授業はありましたが)
その予備校がどんな指導をしていたかというと…
授業中に生徒をバンバン指名し、答えられない、もしくは間違った答えを言うなどといったことがあれば、激しく叱責するというような指導でした。
激しい叱責…先生にもよりますが、怒鳴る、ブチ切れる、時にはモノを投げる、などといったことも普通に行われていました。
そこまでいかなくても、嫌みを言うとか、ちゃんと予習をやってきていないんじゃないかと責めるとか…
とにかく常に生徒に圧力をかけるような指導法でした。
予備校講師は時には圧力をかけつつも生徒に真剣に向き合う。
生徒はその期待に応えようと死ぬ気で頑張る。
そのことによって今までにない力が発揮出来て、志望校に合格することが出来る…
そんな理屈…あきらかな精神論でした。
嘘だと思われるかもしれませんが、本当の話です。
(ただし、英語以外の教科は比較的普通でしたが…)
私は気が小さく、怒られると萎縮するタイプ。
そんな性格だったので、とにかく予備校の先生に怒られないように、それだけを目標にかなりしっかりと予習を行い、授業に臨んでいました。
そんな努力の甲斐あってか、私は、授業中に先生から怒鳴り散らされるといったことはあまりない生徒でした。
とはいえ、同じ授業を受けている別の生徒が怒られれば修羅場と化します。
そんな感じだったので、どれだけ自分は一生懸命やっていても気が抜けず、英語の授業中はいつもビクビクしていました。
怒られている生徒にしても、別にすごくやる気がないとか、全然予習してきていないとか、そういう訳じゃないんですよね。
ちょっとわからないところがあったり、先生の質問の意図がつかめなかったりしただけで…
そもそも、わからないから怒るって、よくよく考えてみたら意味不明です。
予備校ってわからないところを教えてもらうための場所のはずなのに…
最初のうちこそ、予備校の教育方針を信奉していた私でしたが、次第に疑問を感じるようにはなっていきました。
とは言っても、大金を払ってしまっているので、別の予備校に変えることは出来ません。
また、予備校が嫌だからと言って、予備校に行かないというのももったいない気がします。
英語の勉強法自体は、かなり独特でしたが、力になりそうだなとは思っていたので…
そんな予備校に通いつつ、臨んだ私の大学受験は見事に不合格でした。
勿論、不合格だったのは予備校だけのせいではないですが…
(浪人したけど、それも失敗しているので… 気になる方は宅浪した経験について書いた記事もどうぞ)
ただ、結果を抜きにしても、あの予備校の教育方針は少なくとも私には全く合っていなかったし、受験には悪影響だったなと、受験が終わった時につくづく思ったのでした。
予備校の激しすぎる授業のせいで、精神的に情緒不安定になる…ということがかなりあったので。
ただでさえ、受験期は精神的に不安定になるのに、予備校のせいでさらに情緒不安定になるなんて本末転倒ですよね…
また、その当時の私がしていたのは、志望校に合格するための勉強ではなく、予備校で先生に怒られないための勉強だったということも、受験が終わってから気付きました。
本来なら、自分の志望校に合わせた勉強を行ったり、合格するのに不足している部分を補うような勉強が必要なはずなのに…
そういっことを自分の頭で考えることをせず、盲目的に予備校がやれという勉強ばかりやっていたなと思ったのです。
(個人の志望に合わせた志望校対策がほぼなかったのも、予備校としてひどかったですけどね)
圧力を伴う厳しい指導が不要だと思う理由
かなり長くなりましたが、私のスパルタ予備校での体験談は、上に書いたような感じでした。
体育会系の『厳しい指導』はこんなものじゃないだろうなーと思いつつ…
(ただ、予備校での体験というのがレアだろうなとは自分でも思いますが)
日大アメフト部についての報道を見聞きして…
自分自身の体験談も思い出して(スパルタ予備校以外のことも)…
圧力を伴う厳しい指導ってやっぱり絶対に不要だ!という結論に達しました。
以下からは、その理由について書いてみたいと思います。
【理由①】ネガティブな気持ちになり、パフォーマンスが下がるから。
圧力を伴う厳しい指導(以下、圧力指導とします)…
これを受けた場合、指導された相手はもれなく、ネガティブな気持ちになります。
どの程度のネガティブな気持ちかというのは、その場の状況や受け取る側の性格などにもよるとは思いますが、ネガティブな気持ちにならないということはまずあり得ません。
(そもそも圧力指導の目的自体が、指導される側にネガティブなインパクトを与えるということだったりもします。)
ネガティブな気持ちになったら、人はどうなるか…
ほぼ確実にパフォーマンスが下がります。
何かの研究機関が調べた結果…云々、みたいなのも見た記憶があるのですが、それ以前に。
これ、ある程度人生経験を積んでいる大人だったら、感覚的にわかるのではないでしょうか?
・仕事で怒られて落ち込んでいたら、余計ミスをしてしまう
・組織内の空気が悪く、目指す目標(部活の大会で優勝するとか、職場の業績を上げるとか)を達成することが出来ない
・ネガティブなことを考え続けていたら、ロクなことが起こらなかった(≒引き寄せの法則)
これは全部、ネガティブな気持ちでいたことによりパフォーマンスが下がった結果です。
圧力指導を行う→(一時的であれ)ネガティブな気持ちになる→パフォーマンスが下がる
圧力指導の利点ってあるんでしょうか?
ないと思います。
【理由②】圧力指導のほとんどが、指導者の都合によるものだから。
圧力指導が行われるのは、ほとんどが指導者側の都合によるものです。
指導者側の都合とは、
・自分の怒りをコントロール出来ない。教えているうちに、カッとなって怒ってしまってるだけ。
・圧力で押さえつけないと、組織の中を統率出来ない。
・圧力指導の方が、自分の権力を誇示しやすく、相手を楽に動かすことが出来る。
などといったことです。
圧力指導をする人は、果たして合理的な判断の上でそれをやっているのか…
違う場合がほとんどです。
合理的に考えて圧力指導の方が成果が出るからと思ってやっているという訳ではなく、自分の都合や感情のためにやっている場合が圧倒的に多いのです。
厳しい指導の方が成果を上げることの方が出来るから…
褒められるより叱られた方が伸びるタイプだから…
もしそれを言うなら、両方試してみたんですか?と言いたい!
いろんな指導法を、それぞれの相手(選手、生徒、部下などに)に試してみたんですか?と言いたい!
いろいろやってみて合理的に判断した上で圧力指導に行きついたというならまだわかりますが、決してそうではないのです。
自分もそう指導されてきた、そっちの方が簡単で成果も上げやすい、自分にも都合が良い…
だいたいそういった理由です。
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【理由③】指導される側の考える力を奪うから。
日大アメフト部の例でも、私のスパルタ予備校での体験でもわかるように、圧力指導は指導される側の考える力を奪います。
圧力指導が最終的に行きつく先は、服従です。
考える隙など与えず、何もかも自分の言う通りにしろ、ということです。
そんな指導を受け続けたらどうなるか…
当然ですが、指導される側は考えるということをしなくなり、自分で考える力が低下していきます。
長期的な視点で考えると、考える力がないということはかなり重大な問題です。
スポーツであれ、勉強であれ、仕事であれ…自分で考える力がなければ、良い結果を出し続けることは出来ないからです。
たとえば、中学校の部活で、カリスマ指導者の力により、良い成績を納めたとしましょう。
でも、その指導者は圧力指導を行う人で、その指導者に盲目的に従わなければいけなかった。
どんな練習をすれば良いか、どうすれば勝てるか、考える機会もない。
そのうち、そういったことを考えることすらなくなっていった…
こういった場合、その指導者の元にいるうちはまだ良いかもしれませんが、指導者が変わったり環境が変わったりしたら、良い成績を納め続けることは出来なくなります。
今まで良い成績を納めていたとはいえ、それが何故だったのかわからないので、環境や状況が変わったら力を発揮出来なくなってしまうのです。
また、考える力も低下してしまっているので、どうすれば力を発揮できるか、考えてみてもなかなか答えを見つけることが出来なくなってしまう、といったこともあります。
何事も、なぜうまくいったのか?なぜうまくいかなかったのか?を自分で把握することが大事です。
それを知ることで、初めて勝ち続けることが出来るから。成功し続けることが出来るから。
目先の結果以上に、うまくいった要因を把握していることが重要なのです。
どうすれば勝てるか?成功するか?は、選手や学生が、自分で考えるべきなのです。
それを考える上でのサポートをするのが、指導者の本来の役割なのではないでしょうか。
しかし、圧力指導は、そういった本来のあるべき指導とは真逆のものです。
考える力をつけるどころか奪うんですから…
【理由④】他者から追い込まれるよりも、自分で自分を追い込む方が効果が高いから。
圧力指導を行う人の理論として、「選手や学生を追い込むことでより高い能力を発揮させることが出来る」というものがあります。
日大アメフト部の監督の言い分の中にもこういった理屈はありましたが、私が通っていた予備校もそういった考え方でした。
人間死ぬ気でやったら思ってもみない力が出る。
でも、自分一人で頑張ろう頑張ろうと思っても、なかなか限界までは頑張れない。
だから、敢えて講師が圧力をかけることによって、限界突破させ、自分1人では引き出せなかった能力を引き出す…
というような考え方だったのです。
一見すごく良い考えのように思えますが、今考えてみると甚だ疑問です。
たしかに、追い込まれることですごい力が出る、高い能力が発揮出来るということはあると思います。
でも、だからといって、他者から追い込まれる必要はありません。
自分で自分を追い込めば良いのです。
というか、自分で自分を追い込まないと意味がないです。
他者から追い込まれることで、行動が変わり、結果が出る、というのは本来望ましい状況ではありません。
追い込んでくれる他者がいなくなったら、力を発揮出来なくなるからです。
また、他者から追い込まれると、その追い込まれている状況から逃れたいためだけに頑張る、という状況に陥ることがあるのも大きな問題点です。
私が予備で先生に怒られたくない一心で予習を完璧にしていたというのが、まさにそれ。
今改めて考えてみると、あの時の私は、このままじゃ志望校に合格出来ないかもしれない…と思うことで、自分で自分を追い込み、勉強に励むべきだったのです。
ですが、他者に追い込まれたことで、完全にポイントがずれてしまったのです。
他者から追い込まれることは、そういった弊害もあります。
だから、追い込んで力を発揮するのであれば、自分で自分を追い込む必要があるのです。
まとめ
以上、圧力を伴う厳しい指導は不要だ、ということについてでした。
圧力をかけて厳しい指導を行うのではなく、自ら考えて行動することが出来るような指導をすることが大事なのではないかなと思います。
それを具体的にどうするのか?というのが難しいところだとは思いますが…
でも、だからと言って、力で人を従わせる指導は絶対に間違いだと思うのです。
読んで頂いてありがとうございました。
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コメント
あやぞぅさん、おはようございます。
「圧力を伴う厳しい指導が不要」という考えは自分も正しいと思います。日大アメフト部の監督の指導方針はチームを強くする意図は賛成できても自分より立場が弱い何人もの学生を追い込む事はハッキリ言ってやり過ぎです。何をするにしても自分で自分を追い込んでやる方が他人に追い込まれてやるよりも結果はどうであれ納得できるところはありますね。
しゃんしゃんさん>
コメントありがとうございます。そうですよね。
チームを強くしたいがためとはいえ、立場の弱い人を追い込むだけの指導はおかしいと思います。
結局、学生のことなんか考えていないんですよね。
結果を出すために追い込むことが必要だとしても、人から追い込まれるのではなく、自分で自分を追い込むべき。
それが出来るように指導するのがあるべき指導ではないかなと思いました。